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塩谷瞬の極貧の小学校時代告白 [エンタメ]

塩谷瞬さんは、映画「パッチギ!」の主演として一躍脚光を浴びた俳優です。

モデルの冨永愛さんと料理研究家の園山真希絵さんとの「二股騒動」でメディアに攻撃されました。
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「平成の二股男」として非難を浴びながら、これまで沈黙を続けてきました。

塩谷瞬さんの両親は離婚されていて、物心ついたときには母親がいなかったので、いくつのとき両親が離婚かわからないそうです。

母親の顔すら覚えてなくて、親父と2人だけの人生が始まっていたそうです。

小学校で不登校だったそうですが、いじめ問題ではなく、学校に行く価値観を親から植えつけられていなかったので、学校に行く必要が何であるのかもよくわからなかったらしく、低学年のときはあんまり行かなかったそうです。

家に人がいなくて、ご飯も食べられない状態で、ほんとに青白い顔をして、よく貧血で倒れたりして、体もく、女の子に間違われることもあったそうです。

貧乏で、100円のうどんを3日に1回ぐらいしか食べれなかったそうで、後は何も食べない状況だったらしい。

子供のころは何を食べていいのかよくわからなかったので、カップラーメンばっかり食べていたそうです。

起きたら、机の上に1000円だけ置いてあったりするそうです。

子供だから、駄菓子屋に行って、ビックリマンチョコをワンケース買って、シールを集めて、菓子を食べるけど、食べきれないから、捨てたりしたそうです。

スーパーとかゲームセンターとか行ったりすると、栄養失調状態だったので、突然貧血になってパタッと倒れたそうです。

気がつくと用務員室とかにいて、用務員のおじさんがパンや牛乳をくれえうのがすごくうれしくて、用務員さんと仲良くなったりしたそうです。

お父さんが再婚し普通の生活ができるようになって、集団生活が楽しくなってきて、毎日学校に行って、生徒会もしたそうです。



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